Appleが高速道路にも進出⁉
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ひさびさに書く話は、仕事ネタか(苦笑)。
ここ1年くらいで状況がまた少し変わったので
(意図的にポジションをシフトさせている)
自分自身で制作する機会も
以前に比べるとずいぶん減らしている。
けど、たまにはつくることもあるわけで。
自分自身でつくるとき
最近ある状況に気がついた。
「ひとり」になりたがる。
なるべく人がいない時間
電話がかかってこない時間を好んで
作業することが多い。
コミュニケーション(営業)←→ ひとり(制作)
簡単に図式化すると
こういうことかな。
それと、もうひとつ。
コミュニケーション(INPUT)を
制作(OUTPUT)に昇華する。
それぞれの場所を
行ったり来たりするのは
大変ではあるけど
どちらとも向き合う時間を
ボクなりに大切にしている。
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佐藤雅彦さんのインタビューを読んでいて
「これもひとつの視点やなぁ」と思わせる記述があった。
いかに人生をよく生きるか、
生活しやすいようにするか。
その方策を決めるのがデザインという行為ですよね。
(中略)
だからデザインには前提として必ず「生」がある。
ところがアートはそうではありません。
アートは「いかに」ではなく
「なぜ」で始まります。なぜ生きるか。
そうすると、
「生」だけでなく「死」をも
範疇として扱わなくてはならない。
生きる意味が見つからなければ
死という選択もありうるわけで、
僕はいままでそこには一線を引いてきました。
「なぜ生きるか」というのは
とてもやっかいな命題だからです。
今年になって
このところ遠ざかっていた
アートと向きあう機会があって
あらためてデザインとアートの
「境界線」について考えていた。
デザインを生業としている以上、
普段考えているのは「生」のことだ。
「生」と正面から向き合っている日常に
「死」も領域に入れてしまうと
すごく物事が複雑になってしまう。
きっと、そういう意識がどこかにあって
避けていたんだろうかと思った。
でも歳を重ねるごとに
必然的に「死」と
向き合わなくてはいけない。
今は実力がともなわないし
考え方もおぼつかないからできないけど
いずれ「死」も領域に入れた表現を
どこかでカタチにできればと思う。
…なんて、先のことはわからんけど。
↑前にNHKで放送されてた映像かな。
黒板にチョークで書きながら説明してるのが佐藤 雅彦氏。
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